【バレーボール】世界最速サーブの記録を持つ”皇帝”イバン・ザイツェフ【21/22ベストプレーヤー】
前回は、セリエA2021/22シーズンで優勝したルーベの中からロベルランディ・シモンについて紹介しました。
そして今回は、2021/22シーズンにおいてベストプレーヤー賞を受賞、世界最速のジャンプサーブ記録を保持していたことのあるイタリア代表イバン・ザイツェフについて紹介します。
基本情報
・名前
イバン・ザイツェフ
Ivan Zaytsev
・生年月日
1988年10月2日
・国籍/出身
イタリア/ペルージャ県スポレート
・体格
身長 202cm
体重 92kg
・ポジション
オポジット
・最高到達点
スパイク 370cm
ブロック 348cm
経歴
イバン・ザイツェフの父はモスクワオリンピック金メダリスト、旧ソ連男子代表のセッターであったビャチェスラフ・ザイツェフです。
そのため、ザイツェフは10歳の頃にバレーボールを始めましたが、当時は「ザイツェフの息子がバレーボールを始めた」と話題になったそうです。
現在ではオポジットの印象が強いザイツェフですが、なんとはじめは父と同じセッターをやっていました。
2001年にペルージャに拠点を置くセリエC2のジュニアチームに所属しており、2004年にペルージャに入団。2008年にはバレーボール男子イタリア代表にも選出されました。
しかし、セッターとして思うように活躍できず、ザイツェフ本人が過去に「当時、高い契約金をもらってプロになったが、それは下手なセッターの将来ではなく、(ザイツェフという)苗字に支払われていた」とコメントしているように自身のなかでセッターとしで限界を感じていたと思われます。
2008年に移籍したセリエA2のMローマ・バレーの当時の監督であるアンドレア・ジャーニ監督との出会いで転機が訪れます。
アンドレア・ジャーニ監督はザイツェフにウイングスパイカーを勧め、当時20歳のザイツェフはセッターからスパイカーに転向しました。
ちょうどその時期、セッターとして活躍出来なかった過去の自分やザイツェフという父の名前の呪縛からの逃れるためなのか、自身の胸に「MY LIFE,MY RULES」というタトゥーを掘りました。
「自分のやりたいことをやり、誰のものでもない自分の人生を生きる」というイバン・ザイツェフの決意が伝わってきます。
その後スパイカーとして出場し、2010年のセリエA2の優勝に大きく貢献し、MVPも受賞しました。
のちにザイツェフのそのプレーから「ツァーリ」(皇帝)と呼ばれ、バレーボール界のスーパースターになりました。
そして、2016年に開催されたリオデジャネイロオリンピックでは銀メダル獲得に大きく貢献しました。
2021/22シーズン
ザイツェフは2016年にペルージャ、2018年はモデナ、2020年はロシアのクズバス・ケメロヴォでプレーし、そして2021/22シーズンではロシアからイタリアに戻り、昨シーズンの王者であるルーベに加入しました。
ルーベの加入は2014年から8シーズンぶりの加入となりました。前回の記事でも書きましたが、今シーズンのルーベはブラジルのルカレリやアルゼンチンのデセッコも加入し、ファンの間では大きな期待が寄せられていました。
しかし、チームの高齢化が進む中、ザイツェフは33歳とバレー選手の中では比較的高齢の部類であり、それに加え東京オリンピックを終えたザイツェフは膝の怪我による手術でチームへの合流が遅れました。
昨シーズンのルーベはスクデット達成など好成績を残していましたが、今シーズンではスーペルコッパ初戦敗退、コッパイタリアでは準々決勝で敗退と苦しい結果となりました。
しかし、ザイツェフも徐々に戦線に復帰し始めると、チームも勢いに乗りレギュラーシーズンでは好成績でファイナルラウンドに進出しました。
ファイナルの相手は地上最強アタッカーのウィルフレド・レオン有するペルージャ。イタリア代表アウトサイドヒッターのオスマニー・ユアントレーナがコンディション不足で欠場という状況であったが、見事ルーベは3勝1敗という結果で通算7度目、3シーズン連続の優勝を果たしました。
ザイツェフはシーズンの序盤出場していなかったのにも関わらず、シーズンを通しの活躍からベストプレーヤー賞を受賞、さらに前シーズンでロシアリーグのケメロヴォに所属していたこともあり、カムバックプレーヤ賞にもノミネートされました。
まとめ
今回はイタリアのスーパースターであるイバン・ザイツェフについて紹介しました。
怪我の心配もありましたが、それを思わせないようなプレーを魅せ結果を出したザイツェフはさすが皇帝と言わざるを得ません。
現在ネーションズリーグも開幕しているので注目ですね!
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